秋田へ


11月19日、秋田県由利本庄市にあるJA秋田しんせいの「ET部会設立総会」の記念講演にお招き頂いた。



秋田新幹線に乗るのは確か2回目だったと思う。在来線の線路を使う、いわゆる「ミニ新幹線」であると記憶している。(本当か?)秋田新幹線は、花火で有名な「大曲」で進行方向が逆になる。いわゆる「スイッチバック」といわれるものである。(確かか?)

大曲駅で大学時代の同級生である輿斉君が迎えに来てくれた。輿斉君は、秋田NOSAIの獣医師で現在大曲近郊の診療を担当している。朝5時起きで仕事をかたづけて駆けつけてくれた(ありがとうね)。

輿斉君の診療車に乗って、11月の青森家畜市場で「うちの牛」を購買いただいた大曲の佐藤さんの家へ向かった。

えり号、ET産子、1代祖―安平、2代祖―平茂勝、3代祖―第1花国、293日令、317kg、91万6千円

セリの後、わざわざご挨拶に来てくれて、「いい牛を買うことができてよかった。青森に来たかいがあった」と言ってくれた。本来であれば、こちらから挨拶に行かなければならないのに・・・。なんともありがたい・・・。

突然の訪問でご主人とお会いできなかったが、奥様が牛舎に案内してくれて「おとなしくていい牛ですよ」といってくれた。

「久しぶりだな、えり号よ、秋田の地で活躍してくれ!いい人に飼われて君は幸せだ!いい仕事をするんだぞ!」

受精卵移植による和牛子牛の双子生産




 昨年の10月に青森銀行より研究助成金をいただきました。


写真はその贈呈式の模様を紹介した新聞記事の切り抜きです(デーリー東北、東奥日報)。




 和牛子牛価格や枝肉価格が低迷している昨今ですが、受精卵移植による双子生産(2分割、2卵移植)が安定的に可能となれば、より収益性の高い畜産経営を行うことができるのではないかと考えています。




 しかし、双子生産は絵に描いたように簡単にできるものではありません。子牛が虚弱であったり、早産死産率が高かったり、あるいは、母体が分娩後に胎盤停滞をはじめとした体調不良となったりすることから、これまで多くの試験研究がおこなわれていながら実用化までには至っていないのが現状です。




 双子生産を安定的に行うには、上記した問題点が起こる原因を明らかにする必要があります。その上で、双子を安全に分娩させるための栄養管理技術を構築していくことが求められます。




 今後、これまでの研究で明らかとなった知見等をご紹介していきたいと思います。




氷の世界

 ♪窓の外ではりんご売り、声を枯らしててりんご売り、きっと誰かがふざけてりんご売りのまねをしているんだろう・・・今年の寒さは記録的なもの、凍えてしまうよOh!毎日吹雪、吹雪、氷の世界ィ~♪

 何の歌か見当もつかないであろう方に少々解説をすると、今から30数年前のフォーク全盛期と呼ばれる時代に一世を風靡したシンガーである。この歌が、何を訴えようとしているのか、何を言わんとしているのか私には理解できないが、確か彼は、大麻を所持して捕まった経歴がある。その時代に作った歌であるから、意味が不明なのはしょうがないと勝手に解釈している。そして私はこのシンガーのファンである。

今日は、思わずこの歌を口ずさんでしまいたくなるような大荒れの天気であった。吹雪で前方の視界が無いため、やや上の電信柱の先端を目印にゆっくりと車を運転する。酪農振興センターがある六ヶ所村旧八森地区は、地吹雪の名所である。普段の倍近くの往診時間がかかってしまった。

 あるフリーストールの農場では、昨日分娩した牛が、調子が悪いとの往診依頼があり、行ってみると、吹きさらしのストール内で、36度しか体温がなく、しかも起立不能となっていた。これはちょっと厳しいかもしれない・・・。

、「そろそろ春も近いよね」と話していた二日前の月曜日に最高気温が10度前後だった。今日の正午の気温はマイナス3度だからひどい温度差である。体温調節機能が未熟な子牛やストレスのかかっている分娩前後の牛にはちょっとしんどいだろう。

 来月初旬に、青森市文化会館で井上陽水のコンサートがある。苦労したが、やっとのことでチケットを手にすることができた。厳しい冬が過ぎ、春が訪れるのを待ちわびている気持にも似て、今秘かに、このコンサートに行くことをとても楽しみにしている。

白銀の世界



先週の日曜日は、息子からスケートに行きたいとせがまれていた。

9時に朝食を食べた後、10時ごろからふっと睡魔に襲われて、不覚にも10分か15分くらいのつもりでうとうとと転寝をしてしまった。これが間違いの始まりであった・・・。気がつくと何と昼の12時。確かに疲れは溜まっていたと思うのだが、いくらなんでも午前中に2時間とはひどいものだ。


午後の1時に友達が誘いにきて、息子は夕方暗くなるまで遊びに行ってしまうことに。

私の朝寝のせいで、家人にはひどく不評な日曜の一日となってしまった。

30代後半までは、休みをほとんど取らず働いていたような気がする。早朝から深夜まで・・・、それがあたかも勲章のような錯覚に陥っていた。完璧な仕事をめざし、研究データを積み重ねて学会に発表し、論文を書く。

全力を尽くして打ち込める仕事を得たことは、幸せなことだと思う。また、その仕事を長く且つより良くしていくためにたまには休息も必要なのだなと考えるようになってきたのはここ2,3年のことだ。(体力的に無理が利かなくなってくる年齢になったということでしょうか)

目標にしていた学位を取ることができたことは、本当によかったと思っている。しかし、無理を続けてきた“つけ”は、体のガタとなってじわじわと押し寄せているのも事実だ。


という訳で、今日は家族でまかど温泉スキー場に行ってきた。

穏やかなよい天気。陸奥湾に滑り込んでいくかのようなゲレンデは、実に気持ちの良い気分にさせてくれる。


直滑降しかできなかった息子にボーゲンを教える。帰りは東北町の東北温泉で黒いお湯(モール温泉)につかってきた。

良き家庭人にはまだまだほど遠いが、良い休日であったと思う。

あと1センチ・・・


今日、シャンプーをしていたら掌に筋肉痛の様な痛みがあった。何でだろうと考えていたのだが、一昨日に難産があったことを思い出した。そう言えば両腕もかすかに痛い。

頭部が産道には入れないまま前肢を助産器で牽引されたので頭部が完全に真後ろを向いた状態であった。肩まで、あるいは首の付け根まで母体の産道に腕を挿入し、胎児の頭部を探ったが、下額骨にやっと中指が触れるものの、指を掛けることがどうしても出来ない。

部下の田波先生と代わる代わりに整復を試みるが、あと1センチ足りない。私よりリーチの長い田波先生も気管を指でつまみ揺さぶりながら引き寄せようとするが整復には至らない。

40分経過後に帝王切開に踏み切ったが、私の両腕は感覚を失うぐらいパンパンになってしまっていた。「ここで決める」と全力で下額骨を弄っていて、かなり判断時期を見誤ったと言える。

立位で右側からのアプローチ。無事胎児も生存していた。(ホルスタインのメス!やったー!)子宮の縫合、閉腹を田波先生が行う。正確にこなしてくれた。
実は、私の腕がだるくてかなわないため、お願いしたわけだが、整復困難であると判断するのには10分で可能だったのかもしれない。

今回は、胎児も生存していて、母体の立ち上がりも順調のようで何よりであった。しかし、整復困難であると判断をするまでに時間がかかり過ぎた。臨床現場では、常に冷静かつ的確な判断と処置が、命や、農家の生産性を左右することを肝に銘じていこう。
年末から今回まで、思えば4頭の帝王切開を行った。続くときは続くものだ。

新年







2009年元旦の朝は、午前6時に産後起立不能の急患で幕を開けた。

血中CA値なんと2.6mg/dl。

ボロカールを2本静脈内に、ニューグロンを1本皮下に入れ、午後に再度往診をする。

カルシウム値は8.9mg/dl。もう一本ボロカール追加で静注する。


大晦日の深夜に頭部の失位を畜主自らが整復し、分娩させたとのこと。畜主の方も正月だからと気を遣ってくれたのはありがたいのだが・・・。

実はこの牛は、定期検診で、外見上過肥であり、血中コレステロール値も下降傾向であったため、要注意であると指摘していた。食欲が落ちていたわけでは無いので、TMRの増給をしたほうがよいと畜主に伝えていた。タイストールの飼養形態なのだが、分娩前後の個体管理をきめ細やかにやろうとする意識が畜主にはまだない。問題を提起すると、いろいろな理由を持ち出して言い訳をするのだけれど、残念なことに、結果はこのような形で自らに降りかかってくる・・・。今年の課題としよう。


もちろん、検診時の血液検査の結果をよく理解し、個体管理に反映させて下さる畜主もいる。おのずと、分娩時の安定度は高い。
この牛はその後、幸いにも自力で起立できた。しかし、その後の周産期疾病の発生リスクは高く、繁殖成績への影響もあるだろう。


一日、二日と平常診療をし、私は三日の午後から五日まで正月休みをもらい家族の待つ家内の実家福島県須賀川市へ。


写真は、三日の午前中に移植に行った酪農振興センターの風景。忙しかったが、雪も少なく、穏やかな正月であった。今年も一年良い年でありますように。